** 1人で泣くなよ ** /
50のお題・28
「随分飲んだのね?」
は帰ってくるなり玄関に倒れこむ真人を見て、クスクス笑う。約束の時間に帰らなかった時点で、こうなるような予感はしていた。
「このままじゃ風邪ひくわよ、ほら、立って」
半分意識のない長身の真人を自分一人で起こすのは無理だと判っているので、どうにかして彼自ら動くように仕向ける。冷たいペットボトルをほっぺに付けても、かなり強く揺さぶっても一向に起きる気配がない。仕舞いには真人が小さくくしゃみをした。
「真人、ホントに起きてよぉ」
こうなったら引き摺ってても暖かい部屋へと運ばなければ、間違いなく真人は風邪をひくことになるだろう。しかし、真人が遅くなることを見越して、もビールを空けている。とて、足元がおぼつかないのだ。
「よし」
意を決して、は寝転んだままの真人の両脇に腕を通すと、力の限り引っ張った。少しずつだが、真人の体はが引っ張る方向へと位置をずらしてゆく。やっとのことでリビングの入り口まで辿り着くと、は肩で息をする。
(フ……フローリングで良かった)
「っ、ルイ……違うって……」
「……」
真人の口から漏れる同僚の女性の名前を、聞き逃すではない。おもむろに手を離すと、ゴトン、と真人の頭がフローリングの床に落ちた。
「痛てっ」
さっきまで全く動かなかった真人が、むくりと起き上がってぶつけた頭をさする。何が起こったのか理解できない真人は、きょろきょろと辺りを見回してすぐ傍に立つを見つけた。
「あれ? ここ、ん家? 俺どうやって帰ってきたっけ」
酔っ払いの戯言を優しく聞いてやるほど、今のの心は猫の額よりも狭くなっているだろう。むしろ、怒りで胸の辺りがムカムカする。は一度軽く深呼吸すると、真人の目線までしゃがみこみ、にっこりと笑顔を浮かべた。
「ここは真人の部屋よ。ボブさんって方と、ジャッキーさんって方が連れてきてくださったの」
「おやじさんと、ジャッキーが?」
「そうよ」
真人は目の前でにっこり微笑むの笑顔に、何かしらの違和感を覚えた。目元が少しだけ紅いのを除いても、何か違う。ぼーっとする視界を何度か擦りつけて、再びの顔を見やる。すぐに違和感の正体が判った。
「……サン、目が笑ってないんですけど」
「真人にはそう見える?」
「……ハイ」
真人は思わず敬語になってしまう。本気で怒っているときのはいつもこうだ。笑顔を浮かべていても、目が笑っていない。
「とりあえず、中に入りましょうか」
「……ハイ」
真人は一気に酔いから覚めた。
に渡されたミネラルウォーターを一気に飲み干すと、彼女の顔色をちらちらと窺う。
はといえば、真人の座るソファの足下、ラグに直接腰を下ろし、真人に背を向けるように膝を抱えてテレビの画面を見つめている。真人を待っている間にDVDでも見ていたのだろう、アクションには定評のある俳優が画面を右に左に走り回っている。
が何故怒っているのか、恐る恐る探りを入れることにした。
「約束の時間までに帰れなくて、ごめん」
「……いいの、なんとなく日付が変わるだろうと思っていたから」
これは怒っている原因ではないようだ。
「俺、飲み過ぎて迷惑掛けた……?」
「……体を壊さない程度に飲むなら、何も言わないわ」
これでもない。
「えっと……」
頬をぽりぽりと指で掻きながら、真人は思い出せるだけの自分がとった行動を反芻してみる。飲みながらアンパンマンについて切々と語った記憶はある。その頃はすでにアルコールの許容量を超えていて、同じことを何度も言っていたような気がしてならない。自分と同じように、ルイも何度も同じことを質問してきたのでその都度説明したような気がする。それからおやじさんとジャッキーが帰ると言うので、パーティーはお開き、おやじさんの運転で皆を送ってもらって。
気がついたら、が怒っていた。
やっぱり思い出せない。思い出せないものは訊いてしまえ、と、腹を括る。
「何怒ってんだ? 言ってくれなきゃ判んねぇよ」
「……ん、自分に腹が立ってるだけだから」
「何で」
「心が狭いと言うか、卑屈になっている自分が嫌って言うか、真人を信じられない自分が嫌って言うか」
「俺を信じられない?」
そう、とは膝を抱えたまま、益々小さくなりながらぽつぽつと答える。
「さっきね、真人がうわ言でルイさんの名前を言ったの」
「……ああ」
「それだけで、腹が立ったの。ヤキモチを焼いたの。……ルイさんは可愛いし、よくあなたの話に出てくるし、ね。真人はカッコイイから、何の取柄もない私よりも他にいい
女いるんじゃないかなって」
酒の力もあってか、いつもはポジティブなの口から正反対の言葉ばかりが流れ出してくる。
「、こっち向いて」
「ヤダ」
ついには泣き出したようで、声が微かに震えている。
どうしてもの顔を見たい真人は、の両脇に手を通して彼女を軽々と持ち上げると自分の膝の上に座らせ、くるりと反転させた。涙で目を潤ませたが真人と目線を合わせまいと、ふい、と俯く。
「そんなこと考えてたのか」
「……」
「俺はさ、上手く言えないけど、だけが好きだし、以外の女のことなんて考えられないよ。それだけでいっぱいなんだぜ」
「……真人」
がゆっくりと顔を上げると、真人と目線が合った。自然と瞳から涙が零れ落ちる。
「だからさ、何の取柄もないなんて言うなよ。は俺にとって大切な
女なんだからさ」
頬に流れる涙を、真人は唇で止めてやりながら好きだよ、とに言い聞かせるように囁く。
「っ……く、くすぐったいわ。真人」
「……酔っちまいそうだ」
「私はさっきの真人の言葉に酔っちゃったみたい、よ?」
「そりゃあ男冥利に尽きるな」
酔った勢いなのか、はたまた箍が外れて本音が出ただけなのか。
真実は二人のみぞ知る―――――。
終