** カフェオレ色の恋心 **
あの新年会の日から、真人の様子がおかしい。何がおかしいのかと訊かれても答えに詰まるのだが、とにかくおかしいのである。ひとりで何か思い詰めている様な素振りを見せているのが頻繁に目撃されていたり、話をしていても上の空だったりすることが、目立っての変化だ。心配になったボブがそれとなく原因を聞こうとするのだが、当の本人は「なんでもないよ」の一点張り。これでは埒が明かない。
周囲の心配もよそに、真人は今日もひとり溜息をつく。
「で、何があったんだ?」
「は?」
基地内の休憩所で、向側に座ったスタンレーがめずらしく声を掛けてきた。真人の最近の様子やあの日の態度で、真人の悩みの原因は女であると推測していたのである。
当の真人は何のことか解らずに間抜けな返事をしてしまう。
「何を思い詰めているのかは解らんが、周りの人間に心配かけるようなことはやめろ」
「心配、かけてたか?俺」
「かなりな」
真人はスタンレーの容赦ないセリフに多少苛立ちを覚えたが、今は怒る気力も無い。スタンレーなりの悩みを聞いてやろうとする滅多に見せない優しい気遣いなのだろうが、真人は自分が悩み続けている原因が原因なだけに、躊躇してしまう。話したら最後、散々嫌味を言われ続けるに違いない。
しばらくの沈黙の後、先に口を開けたのはスタンレーだった。
「そんなに気になるなら会いに行けばいいだろう」
「なっ、なんで知ってるんだ」
「図星か」
「うっ……」
誘導尋問に引っかかったと気付いたとき、すでにスタンレーは嫌味な笑顔を浮かべていた。
照れの所為なのか、スタンレーの嫌味っぷりにキレた所為なのか、顔を真っ赤にして反撃に出ようとした真人だったが、全て知っているかのような余裕を見せる相手に何を言っても勝てないと瞬時に悟る。
「会いたくても、会えないんだから仕方ないだろう」
真人は拗ねたようにふいと目線をずらし、ぽつりぽつりと新年会の日に会った彼女のことをスタンレーに話す。
彼女とは一ヶ月前に真人が強引なナンパから助け出したのことである。あれ以来、何故か頭からずっと離れないのだ。
しかし、さっきまで渋っていたはずの話を全てスタンレーに吐露してしまっている辺り、真人も限界にきていたのだろう。
一通り話し終わり、今日何度目かの溜息をつく。
聞き役に徹していたスタンレーは、真人を悩ませている相手がまだ名前しか知らない女性だというのに驚いた。流石に真人をこれだけ悩ませているのだから、恋人と呼べる相手との喧嘩だとばかり思っていたのだ。それでもスタンレーは相変わらずのポーカーフェイスで、相変わらずの毒舌振りを発揮する。
「会いたいと願うだけで何の行動もとっていない奴に限って、愚痴ばかり言う」
「!」
「それに、知っているか? そういうのを『恋煩い』と言うんだ」
『恋』という言葉に驚いた真人は必死でそれを否定する。
「さんはそんなんじゃ……」
「ない、と言い切れるのか?本当に鈍い奴だな。今のお前の状態を『恋煩い』と言わずに何と言う」
自分の恋心に気付く前に、他人に気付かれたことに絶句する真人。どうしてこの男はこうも鋭いのだろう。ある意味感心している真人を呆れて見ていたスタンレーは、席を立ちながら最後の毒舌を放ち仕事場へと戻る。
「善は急げと教えられなかったか?まあ、一ヶ月も前のことだ。彼女がお前のこと忘れていないことを祈るよ」
そうなのだ。あれから一ヶ月も経ってしまった。スタンレーが言う通り、すぐにでも行動していればと再び会えていたかもしれない。いや、その前にの連絡先を聞いておけば…。
「後悔先に立たず、善は急げ、だ!」
誰かに胸の内を話してしまったのが良かったのか、頭の中のもやが急に晴れたように感じた。
一方、は毎日のように、あの駅構内のスタンドコーヒーショップへ足を運ぶようになっていた。今日も、窓側の席へ着き、絶え間なく流れる人の波の中に彼の姿を捜す。
彼とは、一ヶ月前に無理矢理ナンパされそうになっていたところを助けてくれた、無限真人のことである。
友人に言わせれば『恋に落ちた』ということらしいが、はそれを否定し、ただ単にゆっくりとお礼をしたいから捜しているのだ、と言い張った。実際、真人に特別な感情を持っているわけではなかったし、一目惚れする性質ではない、とは思っている。
(今日も駄目かぁ)
はぁ、と小さく溜息をついて席を立ち、スタンドコーヒーショップを出る。
半分諦めてはいるものの、一ヶ月も通ってしまうと後に引けなくなってしまうのが人の常。通わなくなった次の日に偶然通りかかったら目も当てられないではないか。残る半分はの意地である。
しかし、真人がこの駅をいつも利用しているとは限らないし、利用しているとしても時間帯がずれているかもしれない。しかも、改札口は何箇所もあるのだ。
考えれば考える程、真人に二度と会えないような気になってくるのは何故だろう。はマイナス思考になっている自分の頭をぶんぶん振って、頭をクリアにしようと試みる。
(こんなときは好きな音楽聴いて、好きなもの食べるのが一番よ!)
そうと決めたら即行動。改札口へ向かっていた足を止め、くるっと回れ右をし、今きた道を引き返す。
まずは買い出し。
は地下街にあるお惣菜屋で大好きな肉じゃがコロッケを三つ、和菓子屋でこれまた大好きな豆大福を三つ、最後に酒屋でビールを二缶買った。夕食のことを考えれば一人で食べきるには少々多い量だが、残った分は多少味が落ちても次の日にでも食べてしまえば済む。
あとは帰ってからのお楽しみなのだが、は一番近くの改札口を利用せず、自分でも気付かない程自然にあのスタンドコーヒーショップ近くの改札口へと足を向けていた。そしてそれが見えてきて初めて自分の行動の不自然さに気が付く。
(『恋に落ちた』っていうの、案外当たってたりして)
誰にも解らないように苦笑いを浮かべると、は真人が居るかもしれないという淡い期待を持ってスタンドコーヒーショップの店内をちらり、と覗く。いつも自分が座る窓側の席に目を向けると、そこに一人の男が座っていた。男はコーヒーの入った紙コップを手持ち無沙汰に扱いながら、外を眺めている。その目は誰かを捜しているように見え、目線がこちらへと移ってくるのが分かる。
その男と目が合った瞬間、は驚いて立ち止まると、男も驚いた表情を浮かべて慌てて立ち上がる。
「……真人、さん?」
「さん?」
ガラスで遮られていてお互いに何を言っているのかは分からないが、同時に口から出てきたのは、今まで会いたくても会うことのできなかったお互いの名前であった。
終
また名前で呼んでもらえなかった…(苦笑)。
ごめんなさい、さん。
もう少し、真人は「さん」と呼び続けることになるかと…。
しかし、「恋煩い」なんて言葉久しぶりに聞いたなぁ(笑)。
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