** ミッドナイトブルーの着信音 **



  真人が海外出張で日本を空けてから今日で二週間が経つ。
  いつもなら、平日でも週に一度はお互いに会える時間を作ることができるのだが、ここ一ヶ月、も仕事が忙しく、もっぱらメールでの逢瀬を楽しむ他なかった。
  真人とが最後に会ったのは、丁度三週間前の金曜日だったか。





  やっと仕事から解放されたのは、夜の九時少し前。明日からの土日は久しぶりの二連休だったが、働き詰めの体は自然と寄り道する気も起こさせないのだろう。はまっすぐに家へと帰り、それからゆっくりできたのは十一時過ぎのことだった。
  ベッドに横たわると、サイドテーブルの上の卓上カレンダーにふと目が止まる。

(もう三週間、か)

  予定では来週の月曜に日本へ戻ってくるはず。
  目立つように赤のインクで囲まれた日付けを軽く指でなぞると、何故か急に真人の声が聞きたくなって、携帯電話に手がのびる。
  たった三週間会えないだけで淋しいという気持ちでいっぱいになるなんて、自身、考えてもいなかったことだ。自分でも信じられないくらいに、真人のことを好きになってしまっているのだと気付かされる。

「声、聞きたいな」

  日本との時差はマイナス十七時間、今電話しても向こうは朝早い時間。真人が起きていないとも限らないし、起きていたとしても早朝の電話ほど迷惑なものはない。だから、ずっとメールばかりの会話が続いていたのだ。

(相当参ってるわ、私)

  苦笑いと小さなため息が洩れる。
  ベッドに突っ伏して、意味もなく真人から届いたメールの履歴を辿っていく。
  素っ気無く、短い文章。それでも、必ず最後にはのことを気遣う一言が真人らしくて、彼女の心を温かくしてくれるのだ。

『ピリリリ……』

  手の中で携帯が着信音を鳴らしながら、震えた。画面を確認するまでもなく、この着信音は真人からの電話の音だと判る。暫らく耳にしていない音。
  何故メールではなくて電話なのか気にはなったが、真人の声を聞くことができるというだけで、気分は浮上していく。
  はベッドから起き上がると、慌てて通話ボタンを押した。

「真人?」
、今、大丈夫か?」
「うん、大丈夫よ」
「良かった。もう寝たかなと思ってさ」
「ううん、起きてたわ」
「そっか」
「うん」

  聞きたくて仕方なかった真人の声。もっともっと聞きたくて、は何故かそれきり黙ってしまった真人に話し掛ける。

「何かあったの?」
「いや」
「電話だったから、びっくりしちゃった」
「ああ」
「そっちは朝よね?」

「ん? 何?」

  躊躇いがちに、真人がの名前を呼んだ。

「声が……の声、急に聞きたくなったんだ」

  自分と同じことを思っていてくれたことが、何よりも嬉しい。

「私も、真人の声が聞きたくて仕方なかったの」

  のセリフに安堵したのか、電話口の真人からほっとした空気を読むことができる。

「声、聞けたらさ、今度は会いたくなった」
「私も、会いたいな」
「迎えに行くよ」
「迎えに、って……だって真人、今、日本じゃないでしょ?」

  の質問が言い終わらないうちに、インターホンが鳴った。こんな夜中に一体誰が、と内心ビクつきながら、電話口の真人に会話の中断を申し入れる。

「真人、ちょっと待って、今誰か……」

  インターホンのモニターに映っている人物を確認したは、一瞬目を疑った。まだ日本に帰っていないはずの真人が、ドアの外にいるのである。夢でも見ているのかと目をこすりながら、は玄関のドアを開けた。

「どうして、ここに居るのっ!?」
「迎えに行くって言ったじゃないか」
「そういう問題じゃなくて、だって、お仕事は? 出張中だったんじゃ……」
「いいから、いいから。ちょっとドライブに行こうぜ」
「ドライブって、私、見ての通りパジャマなんだけど」
「じゃあ、着替えなよ。な?」





  実はは乗物が苦手で、特に車やバスに弱い。体調が少しでも悪いと、必ず酔ってしまうのだ。しかし、彼の運転はギアチェンジもブレーキも、急なカーブも恐ろしくスムーズで、が酔う隙を与えない。真人の運転する車は酔わない、ということが判ってからは、も進んでドライブに付き合うようになったが、最初の二、三回は正直、嫌々乗っていたことを彼は知っているだろうか。
  しばらく車を走らせて辿り着いた場所は、街から少し離れた森林公園。小高い丘の上にあり、見晴らしのいい場所からは街を一望できるので、夜はデートに訪れる恋人達も多い。
  真人はその見晴らしのいい駐車場に車を停めて、車の中から街の灯りを見下ろす。

「仕事が早く終わって、予定より早く帰ってこられたのは判ったけど、大丈夫? 疲れてない?」
「ああ、大丈夫だよ」

  正直言って、今回の仕事はハードなものではなかったし、睡眠時間をきっちり取れるだけマシな方だろう。実際、約二週間の海外出張を終え、時差ボケをものともせず、帰国してすぐにの部屋へ車を走らせるだけの体力は持ち合わせている男なのだ。

「それより、夜遅くに迷惑じゃなかったかな。もずっと仕事、忙しかったんだろ」
「全然迷惑じゃないわ。すごく、嬉しかった」
「俺に会えて?」
「ええ」

  からかうつもりで軽く応えた真人だったが、に即答されて逆に照れ臭くなる。
  ちらりとに視線を送ると、こちらを向いた彼女の瞳とかち合った。カーオーディオの仄かな明かりに浮かぶの顔は、はっきりとした表情を窺い知ることは難しいが、きっと太陽の下でははっきりと頬が紅くなっているのが判るだろう。
  で、ポロリと出た本音に急激に体温が上昇してゆくのを感じて、慌てて前方へと視線を移す。

「俺は、さ。ずっとに会いたかったぜ?」

ぽつりぽつりと、真人が話しかけてくる。

「最初はさ、メールでのやりとりで良かったんだ。でも、日を追うごとにの声が聞きたくなって、会えなくなって二週間目にはに会いたくなって。やっと日本に帰って来たら、すでに夜でさ、明日まで会えないのかと思ったら我慢できなくなって、の部屋に向かってたってわけ」
「真人……」
「何だか、すげー飢えてるみたいで恥かしいけどさ」
「……そんなことないよ。私も真人と同じだもの。メールだけじゃ足りなくなって、声が聞きたくなって、会いたくなって。どんどん欲が出てくるの。でも、好きになったら、当たり前のことだと思わない?」
「ああ、そうだな」
「素直に欲しいものを欲しいって言ってくれると、嬉しかったりするのよ」

  自分ばかりが飢えているのだと、そう勝手に決め付けていた真人に、は難なくそれを当たり前のことだと笑って話す。
  そんなを真人は益々好きになっていくのを実感する。

「ま、さと?」

  急に抱き締められて、は抵抗する間もなくすっぽりと真人の腕の中に収まってしまう。

に会ったら、今度は触れたくなった」
「……うん」

  真人はを腕に閉じ込めたまま、放そうとしない。
  も目を閉じて、真人の胸の中でじんわりと彼を感じる。

「こうして触れたら今度は……」
「今度は?」
「キスしたくなった」
「え……あのっ、真人っ?」

  悪戯っぽい笑みを浮かべながら、真人はの唇を奪った。それは三週間会えなかった分を埋めるように、徐々に深いものに変わっていく。

「……はぁ……っ」

  永いキスから解放されたは力が抜けたのか再び真人の胸にしな垂れかかり、彼もそれに応えるようにしっかりと抱き留めた。
  の呼吸が落ち着いてきたのが判ると、真人はわざと彼女の耳元で囁く。

「キスしたら、今度は―――なったんだけど」
「バカ」

  は軽く真人の胸を叩いて、小さな抗議を示す。激しく否定されなかったことにほっと胸を撫で下ろした真人は、再び車を走らせる。
  都合のいいことに明日から二人とも二連休。

『素直に欲しいものを欲しいって言ってくれると、嬉しかったりするのよ』

  この言葉を口にするんじゃなかったと、激しく後悔する羽目になるであった。



真人、アイドリングストップ!地球に嫌われるぞ(笑)

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