** 1口ちょーだい? ** / 50のお題・30


「そろそろ、夕食とってきていいですか?」

  力なく上司に伺いを立て、了解を貰ったが向かったのは食堂。
  朝からぶっ通しでキーボードを叩き続け、昼食は自分の席であらかじめ用意された簡単な食事を急かされるように胃に押し込め、規定された休憩時間も碌に取ることが出来ず、やっと仕事が一段落ついたのは夕食をとるには遅い時間だった。仕事が一段落ついたと言っても、今日中に打ち込まなければならないデータが残っている。ゆっくり自分のベッドで休むころには、確実に日付が変わっているだろう。しかも、この生活が五日間続いているのだから、の足元がふらついていても不思議ではない。





  夜勤組みの夜食時間に重なった所為か、日中よりも人は少ないものの集団特有のざわつきが食堂内に響いている。それが余計にの頭を朦朧とさせているのだろうか、聞き慣れた声にも振り向く素振りもない。

!」

  肩を叩かれて、ようやく自分が呼ばれていたことに気付く。振り向いたそこには、心配そうに自分を伺う真人がいた。その数歩後ろに、スタンレーの姿も見える。

「真人」
「どっか具合でも悪いのか? 何回呼んでも気付かないからさ」
「ごめん、考え事してたわ」

  嘘ではない。残るデータを効率良く打ち込めるようにと、頭の中で整理していたのだ。
  真人の声で呼ばれても気付かないなんて相当疲れが溜まっているなと、苦笑いを浮かべる。
  二人とも夜勤なのだろう、手に持つトレイの上にはメインディッシュの皿の他に、数種類の小鉢が並んでいる。
  バイキングのワゴンの前で立ち話をするわけにもいかないので、は急いで自分の分を取皿に盛り付けると、二人に挟まれるように窓際の円卓席へ向かう。右には真人、左にはスタンレーが、見方によっては真ん中の女性を巡って牽制しあっているようにも見える。
  それもそのはず、真人もスタンレーも、彼女に恋情を抱いているのだから。
  事情を全く知らなくても、勘が鋭い人間なら気付くだろう三人の関係だが、本人は二人の想いに全く気付いていない。
  言わずと知れた連邦軍の有名人二人に挟まれ、同じテーブル席で食事をとるに視線が集中する。同僚のルイが一緒のときでさえ、この二人が並んで歩くところなど中々見られるものではない。大抵はどちらかが一歩引くかたちで歩くものだから、未だに犬猿の仲だと信じて疑わない人間がいることは事実だ。
  その二人が。
  ルイ以外の女性と食事をとるなど、珍しい光景に思わず興味を示してしまうのは仕方のないことだろう。
  そんな周りの様子を知ってか知らずか、当の三人は円卓を囲んで談笑中だ。

「夜勤か?」
「夜勤じゃなくて残業デス」
「ああ、そういえばシステムの入れ替えがあると言っていたな」

  スタンレーがサーモンのムニエルにナイフを入れながら、耳に響くバスバリトンで訊いてくる。
  訊かれたはというと、バスバリトンの声もさることながら、彼のテーブルマナーは惚れ惚れするな、などと頭の隅っこで感心している。お箸の国で生まれ育った彼女には、到底真似できない優雅さがある。きっと、テーブルマナーという特殊な遺伝子がDNAに組み込まれているに違いない。連邦軍の食堂などではなく、是非とも正装でなければ入店できないようなレストランでお目に掛かりたいものだ。
  この時点では悲しいかな、誰もの思考が明後日の方向に向かっていることに気付いていない。多少疲れた表情を浮かべるだけで、至極正常な会話をしているのだから気付かないのは当然なのだが。

「そういえば、システム部の空気、ピリピリしてたなー」
「みんな総出で頑張ってるのよ。オペレーターの私でさえここ五日間は午前様だったからね」

  五日間午前様、と聞いて真人とスタンレーは互いに顔を見合わせる。
  真人は、さっきまで浮かべていた人懐っこい笑みを潜めての顔を覗き込む。喜怒哀楽が表情に出やすいのは、彼の美点だろう。

「大丈夫か? ちゃんと寝てるのか?」
「帰ったらすぐに寝ちゃうから、最低限は寝てるわ。まあ、疲れは溜まってるだろうけど、明日は休日だからゆっくり休めるしね。平気よ」
「無理はするなよ」
「真人もスタンレーもありがとう。心配してくれる人が二人もいるなんて、私ってば果報者だわ」

  は心からそう思う。心配してくれるというのは、少なくても自分のことを受け入れてくれているからだ。それだけで温かいものを感じることができる。現に、彼らと一緒にいることで、随分と気持ちが浮上してくるのが判るのだから。
  しかし、今日はゆっくりと二人と会話を楽しんでいる時間は無い。休憩時間を返上してキーボードに向かわなければ、最悪の場合、休日まで返上しなければならなくなってしまうだろう。はいつもより速いペースで、目前の夕食を口へと運んでいく。





  のトレイの皿の上が綺麗になる頃。ふと、スタンレーが口にしているものに、釘付けになる。

「どうした?」
「……グレープフルーツ、無かったのに」
「俺ので最後だったからな」
「一口ちょうだい?」
「すまない、今ので最後だ」
「そっか。ならいいの」

  あからさまにガックリ肩を落とすに、スタンレーは内心焦る。まさか、グレープフルーツ一口にここまで落胆するとは思わなかったのだ。まるで自分が悪者のような気さえしてくる。
  恋は曲者とはよく言ったものだ。

「……真人の葡萄、貰えよ」
「へ?」

  スタンレーからいきなり振られ、真人も焦るが、何とか空気を読むことができた。葡萄を房から一粒もぎ取って、の前へ差し出す。
  スタンレーはその真人の行為に思わずこめかみを押さえたくなる。

(房ごとやれよ……)
「葡萄でいいなら、食うか? ほら」
「いいの?」

  差し出された葡萄一粒に満面の笑みを浮かべるだが。

「じゃあ、遠慮なくいただきます」
「あ……?」

  何を思ったか、は差し出された真人の手首を両手で包み込み、葡萄を直接口へと運んだ。器用に果実だけを口内へ収めることに成功したは、真人の指先に滴り落ちてきた果汁を舌で舐め取り。

「ごちそうさまでした。生き返ったわー。じゃあ、真人、スタンレー、夜勤頑張ってね」

  席を立ちトレイを返却口に返してから、満足げな表情で二人に振り返り、ひらひらと手を振りながら何事もなかったように食堂を出て行く
  残されたのは、真人の指先に残った葡萄の皮と、スタンレーが落としたフォークと、見てはいけないものを見てしまったと静まり返る食堂。
  止まった時間を最初に動かしたのは、真人だった。
  ガタリ、とおもむろに立ち上がり。

「……わりぃ、俺、便所」

  それこそ、以上にフラフラと覚束ない足取りで、食堂を後にする。
  落ちたフォークを拾いながら、スタンレーはひとり不機嫌そうで。

「ガキか」

  真人が残していったトレイと自分のトレイを珍しく乱暴に片付けて、彼もまた食堂を出て行った。
  その後、幸か不幸か食堂で一部始終を目撃していた人間たちによって、にとって不本意な肩書きが付けられる。

『天然爆弾』

  それがしばらくの肩書きとなったのだった。





初逆ハーです。
疲れていると、自分でも訳の判らない行動しませんか?
トイレに行こうとして冷蔵庫のドア開けたり。

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