** supper **



「さばの味噌煮が食いたい……」

  真人は、トレイにのせられた完全洋食の夕食をフォークでつつきながら、ため息まじりにつぶやいた。それもそのはず。生粋の日本人である彼にとって、朝昼夕の食事が全て洋食の日が半年も続く状態は苦痛以外の何物でもなかった。食べ物の好き嫌いが無いとはいえ、食べたいものを食べられないのは精神衛生上良くない。

「さばの……なんだって?」

  斜め向かいの席に座って一緒に食事をとっていたスタンレーが訊き返す。つぶやき程度の声だったのと、真人のあまりの消沈ぶりにめずらしく触手が動いたらしい。
  真人とは喧嘩ばかりしていたはずのスタンレーも、今ではすっかり真人の一番の友人という目で見られるようになっていた。実際そうであったし、当初のわだかまりも、後に彼が謝罪することによってなくなったと言ってもいいだろう。しかし、彼の寡黙な性格は変わることがなく、真人とぶつかり合うのはしょっちゅうであった。それに関しては『ケンカするほど仲が良い』とか『雨降って地固まる』と言いながら放っておくことにしている。そうやって、ふたりの亀裂は塞がっていったのだから。

  そして、もうひとり。
  真人の向かい、スタンレーの隣の席でルイはさばの味噌煮が何であるか聞き逃すまいと聞き耳を立てている。ルイはついこの間、めでたく真人と恋人同士になった。お互い気はあるのに中々先に進まないふたりを、周りの人間はヤキモキして見守っていたことを当の本人たちは全く気がついていないのだろう。

「んー? さばの味噌煮だよ、味、噌、煮。聞いて名の如く、さばを味噌で煮込んだ日本料理だよ」
「単純なネーミングだな。で、美味いのか? それは」
「そりゃあもう……」

  切々とさばの味噌煮、果ては日本料理の素晴らしさを語りだし、真人のストレスは限界だということが誰の目にも明らかであった。

「わかった、わかった、そんなにさばの味噌煮とやらを食べたいのなら自分で作ればいいだろう? キッチンは各部屋に付いてるんだしな」
「自分で作れりゃ作ってるよ。あーあ、次の日本での仕事は何時になるんだー」

  情けない声を上げながら、ふてくされ気味にロールキャベツを口に運ぶ真人を、子供みたいでかわいいな、と思いながら、ルイはあることを決意した。

(さばの味噌煮くらい、私が作ってあげるっっ!!)





  甘かった……。さばの味噌煮くらい? 『くらい』という表現が間違っていた。さばを味噌で煮込むだけの料理だと、彼は確かに言った。なのに。それを真に受けて、簡単に作れるものだと思っていた自分を悔やんだ。鍋の中の無残に変わり果てたさばの味噌煮らしきモノをしばらく見た後、頭を左右に振って気を取り直す。

「あ、味見してみなくちゃ分かんないわよね、案外これがさばの味噌煮なのかもしれないし……」

  日本人が見たら怒り出すか失笑を買うであろうさばの味噌煮もどきを、無謀にも味見までし、しかもこの物体をさばの味噌煮なのかもしれないと思うルイはかなりの大物であろう。もちろん、味見をした後、迷わず鍋の中身をごみ袋に捨てたのは言うまでもない。
  しかし、ここで挫けるルイではない。なにせ、愛する真人のためである。必死だ。そして、助けを求めた相手は基地の中でも数少ない日本人の友人、チカであった。真人が出張中の一週間の間に、さばの味噌煮を作れるようにレシピを教えてくれと頼み込んだのである。彼女はふたつ返事でOKした。

  いつもはぽやーんとしているチカのどこにこんな料理の才能があったというのだろう。チカは手際よくさばをおろし、調味料を合わせ、あっという間に見本のさばの味噌煮を作りあげた。所要時間約十五分。自分が一時間かけて作ったものと全く違う料理が出来上がり、それを口にしたとき、自分の情けなさに涙が出てきた。

「なんで泣いてるのー? 美味しくなかったー?」

  驚いたチカがルイの顔を覗き込む。
  自分が情けなくなったの、と涙の理由を話すルイに、頭をポンポンと撫でながらチカはぽややーんと、いつもの語尾を延ばす口調で優しくこう言った。

「あのねー、誰だって最初は上手く作れないと思うのー。それにー、知ってるー? 料理ってねー、愛情が隠し味なのよー。ルイが愛情こめて作ったものならー、きっと真人さんも美味しいって言ってくれるよー」

  そんなチカのありがたい心遣いに感謝して、ルイはキッチンに立った。

「そんなおろし方じゃ、さば、食べるとこなくなっちゃうー」

「さば、重ならないようにお鍋に並べるのよー」

「赤唐辛子入れるとー、ピリッとして美味しいのー」

  チカの適切なアドバイスもあってか、二日目の夜にはどうにか自力でさばの味噌煮を作れるまでになった。ここまで来るのに、何匹のさばがふたりの胃の中で消化されていったことか。合格点をもらい、手離しで喜ぶルイにチカは悪魔のようなセリフを突き刺すのであった。

「喜びついでにー、肉じゃがとー、ひじきの煮物とー、だし巻玉子とー、お味噌汁も作ってあげたらー? さばの味噌煮だけじゃー、さびしいもんねー。真人さんもすごく喜ぶんじゃないかなー」

  どうせなら、和食オンリーの夕食をごちそうしろ、というのである。さばの味噌煮だけでいっぱいいっぱいのルイだが、最後の一言が効いた。恋する女は愛する男の名に弱いのである。それを知っていて真人の名を出したチカが一枚上手だったようだ。

  そして、チカという和食の師匠のアドバイスを受けてから六日目。和食の基本をしっかり身につけ、簡単な和食なら料理できるようになったルイの努力は凄まじいものがあったに違いない。いや、もともと素質があったのか。兎に角、恋する女の底力というのは侮れないのである。
  そして、自慢の手料理を披露すべく、出張中の真人が帰ってくるその日、一緒に夕食を食べよう、と連絡を入れた。
  真人からの返事はもちろんOKだった。少し遅くなるかもしれないけれど、という条件付であったが。





「そういえば、真人さんの誕生日って、明後日ですよね?」

  かわいいメカニックマンは、夕食の後の紅茶をスタンレーに渡しながらパーティーの手配について訊いている。案外面倒見のいいスタンレーは、今回の『真人のBirthdayParty』の幹事を務めていて、陰でパーティーの準備を着々と進めていた。
  ジャッキーは持ち前の容量のよさで、スタンレーからの情報伝達を皆に伝える役目を仰せつかっているらしい。しばらくそのやり取りを眺めていたルイが顔色を変えながら突然立ち上がった。

(プレゼント、用意してないっっ)

  今日はもう用意できる時間がないし、明日は真人が帰ってくる日で料理に手一杯、明後日はBirthdayParty。さばの味噌煮に必死でバースデープレゼントを用意するのをすっかり忘れていたのである。頭の中でどうシュミレーションしても、プレゼントを買いに行く時間など全くないのに気がつくと、ため息をついて座りなおした。時間がなかったのだと正直に話して謝ろう、とあきらめたようだ。

「スタンレーさーん、ルイさん、どうしちゃったんでしょう、怖いですよ」
「……どうせあいつのことでも考えたんだろう。彼女がこうなるときはいつもあいつが絡んでいるからな」

  流石、である。





  次の日、真人がルイの部屋を訪ねたのは、約束の時間を三時間も過ぎた夜の十時だった。自分の所為ではない遅刻をわびながら、一週間ぶりに会う恋人を目の前にして彼の顔は緩み気味で。スタンレーがその顔を見たらすかさずからかいの言葉を浴びせているだろう。
  すっかり冷めてしまった料理は温め直されテーブルの上に並べられた。

「和食だ、和食っ! どうしたんだ?これ」
「チカに色々教わって作ってみたの。ほら、真人言ってたじゃない、さばの味噌煮が食べたいって」
「うん、言った。すげー、ルイが作ったんだ。早く食べようぜ」

  急かすようにルイを椅子に座らせると、自分も姿勢を正して食べる気満々である。

「いただきます!!」

  そう言うと、本当にうれしそうにさばの味噌煮に箸をつけた。
  ルイは味に自信がないのか、その様子をじっと凝視する。チカは『美味しいよー』と言ってくれたが、お世辞で言ってくれたのかもしれない。そういうことを言うような人間ではないのだが、自分の自信のなさが彼女を疑う。

「美味い、すげー美味いよ。日本人はやっぱりこれだよなー」

  約半年振りの和食に真人は心から喜び、満面の笑みで料理にぱくついていく。その様子にルイもほっと肩をなでおろし、自分も遅い夕食を口にした。真人はあっという間に二膳のご飯と、テーブルの上にあった料理を全て平らげてしまった。ここまできれいに食べてもらうと、作った方としても気持ちいいだろう。

「ごちそうさまでした」

  満足顔で食後のお茶をふたりで啜る。このお茶も緑茶であることが、ルイの気合の入れ方が違うことを証明している。
  ふたりは他愛もない話をしながら、久しぶりの再会を楽しんだ。

「おっと、もうこんな時間か」

  各部屋に備え付けられているデジタル時計はすでに夜中の一時をまわり、自分たちが時間を忘れて話し込んでいたことを気付かせる。日付も新しい日に変わり、真人の誕生日である四月一日を表示していた。
  遅くまで居ちゃまずいよな、と真人は自分の部屋に帰ろうと慌ててソファーから立ち上がろうとして。ルイはバースデープレゼントを用意していないことを伝えようと慌てて真人のシャツの裾を掴んだ。その拍子にバランスを崩した真人がルイに重なるように、ソファーに倒れこんだ。一瞬、何が起こったか分からなかったふたりだが、すぐに状況を把握してお互い顔を真っ赤にする。

「えっと、何……?」

  起き上がってから訊ねればいいものを、小パニックを起こしている頭ではこれが限界だった。同じく小パニックを起こしているルイも、押し退けることをせずに精一杯質問に答える。

「あのね、その、お誕生日のプレゼント、用意してないの……。時間がね、取れなくて。だから、その……」
「今日の手料理で十分だよ、頑張ってくれたんだろ?」

  ルイが料理が苦手なことを知っている真人は、彼女が今日の夕食をどれだけ頑張って作ってくれたのかを分かってくれていた。一週間前にぽつりと言った自分の我が儘を一生懸命聞いてくれた彼女を、約束の時間を過ぎても自分を待っていてくれた彼女を、心から可愛いと、愛しいと思った。

「でも、今日のお料理はそういうつもりで作ったのじゃないし……」

  あくまでも『今日の夕食』は『真人が食べたがっていたもの』であって、『バースデープレゼント』ではないのだ。本当に申し訳なさそうにするルイをなだめるように、彼女の頬に手を当てると、やさしく唇を重ねた。やわらかく、温かいルイの唇に半分酔い痴れ、半分正気を保とうとする自分に心の中で苦笑する。すぐに離された真人の口から、普段の彼からは考えられないような言葉が紡ぎだされる。

「じゃあ、誕生日プレゼントはルイでいいよ」

  少しおどけてみせたのは、真人なりの思いやりと、照れ隠しなのかもしれない。ルイは真っ赤になりながら、真人の首に腕を回してこう言った。

「Happy Birthday、真人……」

  二度目のキスはほろ苦い緑茶の味がした。





真人、誕生日企画。
真人とルイはまだ初々しい恋人同士で…って感じですかね…?
それと、どうしてさばが何匹も手に入るんだ?とか、
ひじきなんてどこから手に入れたんだ?とか、
味噌は?肉じゃがのこんにゃくは?緑茶は?とか、
細かいことを突っ込まないように(笑)
いやはや、オチが読めちゃいますな。
許してくだせい(汗)
管理人にはこれが限界です〜

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