** 焦心 **
何処へ連れて行かれるのか、疑問ではあったが不安はなかった。スタンレーが理不尽に自分に危害を加えるなどあり得ないし、何より、彼のことは信頼している。それで裏切られたとしても、自分に人をみる目がなかったのだと諦めればいい。裏切られるなど、極力避けたいものだが。
しばらくして、スタンレーのバイクが止まったのは、のアパートの前だった。何度かこうして送られたことはあるのだが、素直にありがとうと言っていいものか迷ったことは初めてである。
は、心の中で小さくため息をつき、後部座席から降りてヘルメットを外した。同時に、スタンレーもヘルメットを外したので、彼の表情も街灯の薄っすらとした光のお陰で窺い知ることが出来る。
さっきは何か焦っているのが諸に表情に出ていたのに、今はすっかりいつもの彼で。思わず、目線を外してしまう。
「あー……、ありがとう、送ってくれたみたいで」
「……ああ」
少々棒読みで、少々嫌味が入っているのは、許してもらいたい。スタンレーの顔を真っ直ぐに見ることが出来ないのは、後ろめたい気持ちがあるからなのだろう。用事があると嘘をついたことよりも、あのキスシーンを見てしまったことに対する罪悪感と、嫉妬。
偶然見てしまったのだから仕方ないといえばそうなのだが、自分なら関係のない人間に見られたくはないものだし、それにも増して、沸々と湧き上がってくる嫉妬にどうにかなってしまいそうになる。自分の感情を何とか押さえ込むことができているものの、急いでこの場から去りたい。
ヘルメットをスタンレーに付き返して、一度も目線を合わすことがないまま、くるりと向きを変える。
「それじゃ……」
「」
スタンレーの呼ぶ声を聞こえない振りをして、アパートまでの短い距離を早足で歩き出す。
「」
離れたはずなのに、近くから聞こえるスタンレーの声。驚いて立ち止まったの目の前に居るのは、間違いなく彼で。それでも、うつむくの頬に触れたのは、スタンレーの指先。下を向いていたの顔を、スタンレーの冷たい手のひらが包み込み、上を向かせる。
「スタ、ン……んっ……」
静かに、それでいて強引に重ねられる唇。
同時に、フラッシュバックするあのキスシーン。
頭の中がぐちゃぐちゃになる。
逃げようにも、いつの間にか肩に回された手から逃げられるはずもなく、辛うじてスタンレーの胸を叩いて抵抗するのがやっとだ。
されたときと同じく、スタンレーの唇が静かに離れた。
真っ赤になっているであろう自分の顔を見られたくなくて、俯いたまま抗議する。
「……からかうの、止めて。こういうの、好きじゃない」
「からかってなんかいない」
「でも、他の 娘 とキスしてすぐだと、信憑性ないわよ?」
「……見ていたのか」
「偶然だけど、見ちゃった。ゴメン」
す、とスタンレーから離れて、無理矢理笑顔で応える。
「じゃあ、これはおやすみのキスってことで」
「、今のは……」
「挨拶のキスは、次からは唇以外にしてね? それに……真人さんが、スタンはモテるって言ってたから、こういうのは別に私じゃなくても……」
「ここであいつの名前なんて出すな」
怒気を含んだ表情を浮かべて声を荒げるスタンレーに、は目を見開く。彼が声を荒げるなど初めてだったし、その苦しげな表情は先程見たものよりももっと苦渋に満ちていたから。
すぐにでもこの場を去るつもりだったはずなのに、思わず手を差し伸べてしまう。
「今日のスタン、変よ」
「……」
「ほら、眉間に皺。取れなくなっちゃうわよ?」
自分の眉間を指差して悪戯っぽく笑みを浮かべるに、スタンレーは心のどこかで安堵する。しかし、それとは裏腹に、この笑顔が真人にも向けられていたと思うと、自分にもこんな感情があったのかと驚くほどに嫉妬の嵐が襲ってくる。
さっきのキスシーンをに見られていたのと同時に、スタンレーもと真人が仲良く話しているのが見えたのだ。他の男と話しているだけでも心中穏やかではないのに、相手が真人だと何故か自分でも押さえが利かないくらいの嫉妬で冷静では居られなくなってしまう。
理由は判っている。と真人の会話だ。二人きりになると、彼女らは日本語で会話をする。日本人同士だから会話が日本語で成されるのは当然といえば当然かもしれないのだが、正直面白くない。さっきだって、何を話していたのかは聞こえるはずもないので全く判らないが、きっと日本語で話していたのだろう。それを想像するだけで、居ても立ってもいられなくなり、彼女を無理矢理連れて来てしまったのだ。
結果、目線を合わせることをしないに、焦ったもの事実。彼女の気持ちをも無視して、キスしてしまった。
完全に嫌われても仕方がないことをしてしまったというのに、それでも自分に笑顔を向けてくれるをどう受け取ればいいのか、困惑する。
いっそ、行き着くところまで行ってしまえば、白黒はっきり出来て楽になるのではないか。
「俺は……」
「?」
「が好きだ」
思い掛けない告白に、はまたもやパニックになってしまう。一気に体中が熱くなって、やっと元に戻った顔色もさっき以上に紅く染まる。
「え、いや、だって、さっきの彼女は? キスしてたでしょう?」
「彼女とは、今日初めて会った」
「へぇ、今日初めて会ったんだ……って、初対面の 娘 とキスとかする? 普通」
「向こうが勝手に絡んできたんだ」
「でも、スタンは拒否してなかったよね? ずっと、その、」
「試していた」
「試す?」
「相手がじゃなくても、欲情するかどうか」
「なっ、な、な、な、何言って、」
「ダメだった」
「は?」
「じゃなければダメだと、はっきり判った」
「それはどうも、って、違ーう! そんな、女の子試すなんてダメだよ。その 娘 はスタンのこと好きでキスしてきたんでしょう? なのに、試すだなんて可哀そ、う……」
再び、重ねられる唇。
自分が告白されてもなお、見ず知らずの女のことを気遣うに苦笑いを浮かべるしかない。
今はただ、だけを欲しているのに。
ちゅ、と音を立てて唇が離れてゆく替わりに、を抱き寄せる。
は怒涛の出来事に抵抗する気も起こらないのか、スタンレーに身を委ねることしかできないでいる。
「返事を聞きたい」
の耳元で響くのは、いつにも増して艶やかな声。
流されそうになる自分を叱咤して、何とか言葉を搾り出す。
「ほっ、保留にさせて下さい」
スタンレーは予想だにしない返事に、僅かに眉を寄せる。
腕の中にいるが、顔を上げて言葉を紡ぐ。
「正直、今ね、頭の中が混乱しているの。気持ちの整理もついていないし、このまま雰囲気に流されるっていうのも嫌だし。だから、勝手だと思うけど、今は保留にさせて欲しいの」
「……判った。の答えがきちんと出るまで、待つさ」
「ありがとう」
否、とはっきり言われなかったということは、まだ可能性があるということだ。が結果を出すまでどれだけの時間が掛かるか全く検討もつかないが、この状況を楽しめるだけの余裕を持たなければ、と冷静さを取り戻す。
今日のことは後悔はしていないが、次にこのようなことがあれば、流石のも愛想を尽かしてしまうだろう。そうなってしまっては、元も子もない。彼女に嫌われてしまうなんてことは、あってはならないことなのだ。
「それじゃ、今度こそ、おやすみなさい」
そう言って、腕の中から離れていく。
「ああ、おやすみ」
アパートへと向かうから目を離すことなく、いつものように返事を返す。
あと数歩でエントランスというところで、が不意に歩みを止めた。
「す、好きって言ってくれて、ありがと」
はそれだけ伝えると、足早にエントランスへと消えた。
「……」
はにかんだ顔でそんなセリフを吐くなんて、どれだけ男心を乱すか判っていないのだろう。
やはり行き着くところまで行けば良かった、というが知ったら確実にドン引きされるであろう不埒な思惑が冷静になったはずの脳裏に浮かんだのは、もちろんスタンレーだけの秘密である。
終
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ホークアイ、スタン(笑)狙った (獲物)はどんなことも逃しません。
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