** 始動 **
誰にでもツキに見放された日はある。 それが自分にとって今日であると、は密かに肩を落とした。
思えば朝から良くないことばかり起こる。まず、炊飯器が壊れてご飯が炊けず朝食をまともに食べることが出来なかった。電車は事故で足止めされるし、制服のボタンは取れるし、仕事では小ミスを連発。その所為で残業する羽目になってしまったのだ。
ほとんどの同僚たちが帰宅し、オペレーター室に残って仕事をしているのはを含めて五、六人になってしまった。沈んだ表情で黙々と仕事を続けていたを流石に気の毒に思ったのか、少し休憩してこい、という上司の有難い言葉を素直に受けて、は休憩室へと向かう。
いくつかのテーブルとイス、ドリンクの自動販売機が二つ並んで置いてあり、廊下とは背の高いグリーンで仕切られている。廊下と向かい合った壁は、ガラス張りになっていて外の様子を眺めることができる。昼間は人が絶えることがないくらいには賑わっているこの休憩室も、流石にこの時間は人っこ一人居ない。
は自動販売機でドリンクを買うと、窓際のイスに座って今日の出来事を反芻する。
(はぁ、今日はツイてないわ)
今日何度目か解らない溜息をついて、ドリンクカップを口に運ぶ。だが、口の中に入ってきたのは自分が欲しかったものとは全く違うもので、は軽く吹き出してしまう。
(なんでコーヒーなの? しかもブラックって)
何てことはない、ただボタンを押し間違えただけなのだが、本人は納得いかないようだ。
恨めしそうにドリンクカップをじっと睨み付け、やっぱり今日はツイてない、とがっくり項垂れる。
「カップ相手に百面相か?」
項垂れた頭の上から聞き覚えのある声で話しかけられ、は顔を上げた。思い掛けない人物の登場に、は驚く。
「スタン? 何でここに居るの?」
「職場なんでね。別に驚くようなことでもないだろう」
スタンレーは驚かれるのは心外だとばかりに、呆れた表情での向かいのイスに腰を降ろす。
「職場って、エンジニアか何か?」
「アーミーのユニフォームを着たエンジニアが居るのか?」
「……居ないわね」
スタンレーの外見や雰囲気から、勝手に軍の人間ではないだろうと決め付けていた自分が恥かしい。
こうして同じ職場に居たということにも驚いたが、所属する軍がアーミー、そのユニフォームには階級章付きだ。この若さで伍長ということは、多分の功績を収めたのか、余程優秀なのか。エリートには違いないだろう。この若さといっても、自分と同じか、一つ二つ上だと思っていたのだが。
「まさかスタンが連邦軍の人間だったなんて思ってなかったわ」
「何故?」
「軍人には見えなかったもの」
「人を外見で判断するなと教えられなかったんだな」
「今晩復習しておくことにするわ」
「いい心掛けだ」
口端を軽く上げるのはスタンレーの癖なのだろう。形のいい唇はそのままドリンクカップに運ばれ、一口一口ゆっくりと飲み干していく。
はふと、スタンレーの左の口の端に目を奪われた。スタンレーの登場に少なからず気が動転していたのか、今まで全く気が付かなかったのが不思議なくらい、彼の口の端や目の辺りには赤黒い痣ができている。
「どうしたの、その痣」
「ああ、何でもない」
痣を気にすることも、表情を変えることも無く、スタンレーは淡々と言い放つ。
何でもないわけがない。 誰が見ても殴られてできた痣だ。
ここは連邦軍。 軍という特殊な環境では、上官からのしごきや仲間内のケンカは多々あることなので、は敢えてそれ以上訊こうとしなかった。スタンレーが何でもないと言う以上、あれこれと追求しても彼は答えないだろう。
「で、はこんな時間まで仕事か?」
「そうなの。昼間ヘマしちゃってね。今は優しい上司のいいつけで休憩中」
「ヘマ、ねぇ」
「あ、今ちょっとバカなやつって思ったでしょ」
「想像に任せる」
「任せられるといい方に解釈しちゃうわよ? そんなバカなところも可愛いな、とか、手伝えるものなら手伝ってやりたい、とか」
「それは想像じゃなくて妄想だろう」
「そんな身も蓋もないようなことを……」
スタンレーの相変わらずなセリフには苦笑いを浮かべ、少々苦手なブラックコーヒーを口に含む。ブラック独特の苦味と酸味に自然としかめっ面になる。
「そんなに不味いのか、それ」
「紅茶と間違ったのよ」
「間違った、ねぇ」
「あ、またバカなやつって思ったでしょ」
「想像に任せる。妄想はするなよ」
「それはこっちの勝手よ。でもね、今日は紅茶のボタンとコーヒーのボタンを間違えたのも諦めがつくってくらい、ツイてない日なのよ」
肩を竦めて残りのコーヒーに口をつけたとき、ピーピーピー、とスタンレーの胸ポケットから電子音が聞こえてきた。それが仕事上の呼び出し音だということは、連邦軍に勤めてから日の長いはよく知っている。
スタンレーは慣れた手つきで電子音を止めると、静かに立ち上がった。
ろくに休憩もできないまま呼び出されれば、誰だって一瞬でも嫌な顔が浮かぶものだが、それでも嫌な顔ひとつしないスタンレーをは少し意外そうに見上げる。
スタンレーはが手にしていたドリンクカップを取り上げると、すっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干してしまった。
「私のなんだけど」
「俺も押し間違えたんでね」
スタンレーはそう言って空になったそれをゴミ箱へと放り投げると、自分のドリンクカップをの目の前に差し出す。がそれを受け取ると、じゃあな、と休憩室を出て行ってしまった。
はスタンレーが出て行った方を見詰めたまま、まだ温かいドリンクカップを持ち直し、紅く透き通るそれを口に含んだ。
紅茶の香りが口の中に広がる。
スタンレーが本当にボタンを押し間違えたのかは定かではないが、結果としては飲みたいと思っていた紅茶を口にすることができた。もし、本当にスタンレーの言うことが本当だとしたら、彼も自分が欲していたものを手に入れたことになる。
(そういうことにして、有難く戴くことにしますか)
自然と口元が綻んでいることに、が気付く気配はまだ無い。
終
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えー、スタンレー、伍長です(笑)
ドルバック隊の階級が解らないので、勝手に決めちゃった。
本来、スタンレーの若さでは有り得ない階級なんですけど(多分)、
アニメはなんでも有りですから(苦笑)
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