** 当惑 **



、本当にあの坊やと付き合ってるのね」

  ロッカーの鏡に向かってルージュをひきながら、お節介で噂好きな同僚は本領発揮とばかりに目を輝かせている。標的にされてしまったは、制服のブラウスのボタンを外しかけたまま、言葉の意味を理解しようとするがいまいち理解できずにいた。

(坊や? 付き合ってる?)

  さっぱり意味が解らない。何か言い返そうと言葉を探すが適当な言葉が見つからず、ただただ同僚を見返すことしか出来ない。中々応えが返ってこないことを気にすることも無く、ルージュをひき終えた唇は容赦なくを攻撃するかのように動き出した。

「とぼけても無駄よ。あんな色男捕まえておいて、知りません、は通用しないんだから」
(色男?)

  色男と聞いて思い当たる人物は一人もいないし、誰かと付き合っているという事実も無い。このままでは噂が一人歩きしそうなので、訂正しておくのが一番だという結論に至った。

「誰かと勘違いしてるんじゃない? 私、今独り身なんだけど」
「まだとぼける気? 戦車部隊の間じゃ有名よ」
「だから、戦車部隊に知り合いは……」
「スタンレー・ヒルトン」
「は?」
「坊やの名前。あのパーティーのときにお持ち帰りされたじゃない」
「あ、あれはっ!」

  誤解されても文句は言えないような退場の仕方をしたのは認めるとしても、目撃していたのは今目の前にいる同僚と、無理矢理恋人候補にと勧められた戦車部隊の小隊長しかいなかったはずだ。その小隊長が誤解して噂を広めたとしても不思議ではないのだが、鳶に油揚げ、普通ならプライドが邪魔してその話題には触れたくないだろう。
  いや、その前にその誤解を解かなければ、目の前の同僚によって噂が撒かれてしまう。戦車部隊どころの騒ぎではない。それだけは止めなければ。

「で? どうなのよ、その後は」
「だから、誤解なのよ」

  は制服のボタンを外した中途半端な格好のまま、スタンレーはただ自分を助けてくれただけであって、あのときが初対面だったことなどを順を追って必死に説明した。

「ふうん。まあ、それが本当だったとしても、坊やと小隊長が喧嘩でを取り合ったって言うのは、どう説明するの?」
「喧嘩って、何のこと?」
「だから、の恋人の座を掛けて、坊やと、小隊長が、殴り合いの喧嘩をね。ちなみに、けしかけたのは小隊長で、勝ったのは坊やの方よ」
「そんなこと……」

  否定しかけてすぐに声が詰まる。自分を取り合っての喧嘩など全くもって有り得ない話ではあるが、スタンレーが顔に痣を作っていたことを思い出す。
  殴り合いのケンカがあったことは事実だとしても、そこに至った理由が納得できない。これは直接本人から訊いた方が早いと、はバッグから携帯電話を取り出す。
  同僚はこれから起こるであろう痴話喧嘩に期待の眼差しを送った。

「あ……」
「どうしたの」
「私、スタンの連絡先知らないわ。と言うか、名前と所属部隊しか知らない」

  その所属部隊が戦車部隊だと知ったのは今日、この同僚の口から聞いたのが最初である。加えて、陸軍の兵士だということは偶然この間知ったばかりだ。

「……それが本当なら、あなたの話、信じることにするわ」

  同僚はただ呆れ返ることしかできずに、大袈裟な溜息をひとつついた。





  仕事を終えたスタンレーが駐輪場へ向かうと、オレンジ色のライトに照らされた入り口に、見覚えのある人物が立っていた。中へ入る気配を見せないところを見ると、誰かを待っているのだろう。それが自分であることなど微塵も思わず、スタンレーは入り口へと速度を変えずに歩いていく。
  向こうもスタンレーに気付いたのか、ゆっくりと近付いてくる。心なしか思い詰めたような表情のに、スタンレーは小さく眉を顰めた。
  としては始めは小隊長との喧嘩に関して『自分を物扱いするな』とか『何で教えてくれなかったのか』とか、問い質したい気持ちが優先していたのだ。しかし、スタンレーを待つ間冷静になって考えてみると、小隊長との喧嘩は確かに事実だけれど『自分を掛けて』という理由は、ギャラリーが面白おかしい話題を提供する為だけの後付けの可能性だってある。
  喧嘩の最中、という名前がどちらの口からも出てきたということは、先程スタンレーの居場所を訊ねた戦車部隊所属の兵士が、にやけながら馬鹿丁寧に教えてくれたのだが。
  それに『私の為に争わないで』なんて、昔のアイドルの歌じゃあるまいしそこまで自惚れた女になる気は毛頭ない。
  スタンレーから、何でもないと聞いた以上、喧嘩の理由を根掘り葉掘り訊くのは気が引ける。
  となると、スタンレーを待っている自分は一体彼に何を伝えようとしているのか。何かを言いたいはずなのに、何を言いたいのか全く浮かんでこないので、スタンレーに会わずに帰ろうとしていた正にそのとき、の目は彼を視界に捉えてしまったのだ。
  光源は頭上のライトと正面出口まで等間隔に設置してあるライトだけなので、スタンレーの顔ははっきりと確認できないが、きっとまだ顔の痣は小さく残っているだろう。気にはなるものの、こうなってしまっては今更、はい、さようならと立ち去るわけにもいかない。

「何か用か?」
「……その、色々ありがとう! そ、それだけっ」

  は自分の口から出てきた言葉に驚いている様子で、目を大きく見開き、両手で口を隠す。スタンレーに声を掛けられて、一瞬にして頭が真っ白になってしまったの口から出てきた言葉。だからこそ、本音が出たのかも知れない。
  の顔は照れと戸惑いから、オレンジ色のライトの下でも徐々に紅く染まっていくのが解る。スタンレーはその変化を楽しむかのようにじっと見詰め、から目を離すことをしない。
  ほんの一、二秒だったのだろうが、その沈黙が耐えられなくなったは、この場から去ろうと早足でスタンレーの横を通り過ぎる。
  スタンレーがの方を振り向き、声を掛けようとしたときだった。余程急いでこの場を去りたかったのか、は既に手を伸ばしても届かない場所まで移動していたのだが、不意に向きを変えてスタンレーを見据える。

「それと! 売られた喧嘩は値踏みしてから買うように! 以上よ」

  そう言い放って、は正面出口の方へと消えていった。

(バレたか……)

  残されたスタンレーは、まだすっかり消えていない口元の痣を指でなぞってから、ふと自分の腕時計で時間を確認する。それだけを伝える為だけに、は何時間自分を待っていたのだろう。この時間ではおそらく駅までの終バスも出てしまっている。
  軽くため息をついて、スタンレーは駐輪場から愛車を押してくる。ヘルメットを被り、愛車に跨る。慣れた手順で愛車のエンジンを軽く噴かしてから、スタンレーはの後を追うことにした。




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携帯電話は…きっとあるハズ。
だって、変型ロボ造れる技術もあるしね^^;
ちなみに、スタンレーは車より大型バイク希望。

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