** 夏の憂鬱 / 後編 **


  その日も暑い一日だった。
  駐車場から海岸への道は素足では火傷しそうなくらい熱く、今すぐにでも水の中に飛び込みたい衝動に駆られる。

「すげー、まだ午前中だっていうのにこの人、人、人!」

  ピエールがレジャーシートとパラソルを抱えながら、海水浴客の多さに驚く。それでも空いた場所を見つけたらしく、こっちこっち、とみんなを誘導している。ジャッキーがすぐ後についていくと、レジャーシートを敷くのを手伝い、後から来る真人とルイを待った。

「で、ジャッキー、どうやってルイを口説き落としたんだ?」
「内緒です」
「教えてくれてもいいだろー、減るもんじゃないんだからさ」
「ルイさんからの信頼がなくなります」
「ぐっ……」

  そう言われれば突っ込んだことも訊けず、あきらめるしかない。ジャッキーに探りを入れてみたものの、ピエールには大体の見当はついていた。自分もどうやってルイを説得するか頭を抱えていたのだから。周りの苦労を知ってか知らずか、原因の半分を作っている真人は久しぶりの休暇に朝からご機嫌である。





「さて、場所も確保したことだし、行きますか」

  真人が待ちきれないとばかりに、Tシャツを脱いだ。

「きゃっ。ちょっ、ちょっと、ここで着替える気?」

  いきなりの展開にルイは顔を赤らめながら両手で顔を隠す。意外な反応をされて真人も少し慌てたらしく、下ろしかけていたハーフパンツを思わず上げてしまった。

「え、脱ぐだけだよ。水着はほら、ちゃんとはいてきてる」
「やっぱり、気が合うなー真人。俺もばっちり、準備万端よ。で、ジャッキー、お前は水着着てきたのか?」
「いいえ、着てきてませんよ」

  まさかピエールまで前もって水着を着てくるなんて、思ってもいなかったルイは半分呆れる。ジャッキーの方が大人に見えるのは錯覚ではあるまい。ふたりが大きな身体の子供に見えてくる。そんなルイを横目に、水着になったふたりは今にも海へ走り出しそうな勢いだ。すぐにでも着替えてこいと、目線が語っている。

「じゃあ、私たち着替えてくるわね。行きましょう、ジャッキー」
「はい」

  ルイとジャッキーが更衣室へと向かった。端から見ればとても仲の良い姉弟のようなふたりを見送りながら、残された大きな身体の子供ふたり組みはクーラーボックスからビールを取り出し、シートに座る。

「カンパーイ!」

  アルミの缶がカツンと音を立て、白くてきめこまやかな泡がこぼれる。余程のどが渇いていたのか、殆ど一気で飲み干す。
  ピエールは早速辺りを見渡し、好みの女の子を見つけては鼻の下を伸ばしている。付き合わされている真人は、どれも同じに見える、と興味を示さないが心なしか顔が赤いのはアルコールの所為だけではないだろう。
  会話の内容はともかくとして、顔も良く、均整のとれた引き締まった身体をもつふたりは、男からは羨望の、女からは熱いまなざしを受けている。自分たちが注目されていることに全くといっていいほど気付かない真人と、目の合った女の子たちにウインクで返すピエール。ウインクで返された女の子たちは、きゃあ、と手を振り返したりする。

「ごめんなさい、待たせちゃったわね」

  ルイとジャッキーが水着に着替えて戻って来た。

「おっせーよ、ル、イ……」

  真人が振り返ると、そこには髪をアップし、ローズピンクの水着に花がプリントされたパレオを巻いたルイが立っている。いつもとは違う雰囲気に、思わず見惚れてしまった真人は次の言葉が出てこない。

「ルイ、かわいいよ、すごく似合ってるじゃないか、その水着」

  流石、ピエール。何の躊躇もなしに、誉め言葉が出てくる。真人はそんなピエールを恨めしく思いつつ、まだ少し残っていたビールを一気にのどに流し込んだ。

「待たせちゃったみたいだから、先に泳いできて? 私、ここで待ってるわ」

  ほら、と真人とピエールの手をひいてシートから立たせると、換わりに自分が座る。ひとりで大丈夫か、とピエールが心配そうに訊いてきたが、大丈夫だから、と男どもを海へと追いやった。3人の後姿を見送りつつ、ルイは、はぁー、とため息をつくと膝を抱えて座りなおす。

「やっぱり、来なきゃ良かったかな」

  この水着について真人が何も言ってくれなかったことが、かなりショックらしい。ピエールもジャッキーも誉めてくれた。その言葉がリップサービスであったとしても、誉められればうれしいものである。それが女心なのだ。なのに、その言葉が一番欲しい相手からそれらしい言葉は一言も出てこない。少しでも期待していた自分に腹が立った。しかし、目線は自然にその期待を裏切った人物を追っていたりするのだ。

「仕方ないわよね。相手は真人なんだもの」

  腹立たしさがあきらめに変わったようだ。おもむろにバッグからサンオイルを取り出して、白い肌に塗る作業にとりかかった。





  一方、ルイに強制的に海へ追い出された三人は、少し高めの波を楽しんでいた。

「お前も男だったんだねぇ、安心したよ」

  ピエールがニヤニヤしながら真人を小突くと、真人は顔を赤くしながらとぼけようとする。

「な、なにがだよ」
「とぼけちゃってー、ルイの水着姿に見惚れてたのは誰だ?」
「お、俺はっ……別にっ」
「そう照れるなよ」
「だーかーらーっ」
「素直になれよ、ルイだって真人から誉めてもらいたいはずだぜ」
「……で、できるかよっ」
「すごく似合ってましたもんね、普通の男の人だったらほっときませんよ。真人さんだって、そう思ったでしょう?」
「……っ」

  自分より七つも年下の少年に軽く突っ込まれた真人は、ぐうの音も出ない。ピエールが多少なりともオブラートに包んで話していたものも、ジャッキーにかかれば遠まわしの会話にしか聞こえていなかったようだ。ストレートな物言いで絶妙のタイミングで会話に入ってくる辺り、一番の上手はジャッキーなのかもしれない。

「勝手に言ってろ」

  すっかり拗ねてしまったのか、照れ隠しなのか、真人はふたりから離れていく。十四歳の子供に図星をつかれて拗ねる二十歳の大人というのもどうかと思うが…。
  兎に角、真人自身、ルイの水着姿に見惚れたのは事実であったし、正直、彼女を可愛いと思ったのも事実だった。ただ、その事実を素直に受け入れることが出来ないのも事実。胸の中にできたモヤモヤしたモノが何であるのか理解するには、まだ時間がかかるのだろう。
  ひとしきり泳いだ後、やはり気になるのか砂浜にひとりでいるはずのルイを人ごみの中から捜す。二、三回見渡すと、彼女の姿をとらえることが出来た。彼女も自分の姿を見つけたらしく、こちらに向かって手を振っている。思わずつられて手を振り返してしまう。

「……ああしてれば可愛いんだけどなぁ」

  普段はなにかと言い合いになってしまうことを思い出しながら、ひとりごちる。





  真人が手を振り返してくれただけで、自然ににやける顔が元に戻らない。火照った顔を少しでも冷やそうと、クーラーボックスから缶ジュースを取り出し、顔にくっつける。キリキリと冷えた感触が心地良い。そのとき、ふっ、と影の出来た方向に目を向けると二人の男が立っていた。自分を見てニヤニヤしている。

「彼女、ひとり?」

  案の定、決まり文句を吐いてくる。
  ルイは眉をひそめながら、嫌悪感いっぱいの目線を彼らに送りながら片言の日本語で連れがいることを伝える。彼らもこれであきらめるわけもなく、あれやこれやとしつこく誘いだす。が、はっきり言って日本語は日常会話くらいしか理解できないルイに、彼らの誘い文句はただの雑音にしか聞こえない。どうやって追い払おうかと考えている隙に、彼らは強引にルイの腕を取り、無理矢理連れて行こうとした。

「ちょっ……離して!」
「いいから、いいから、俺たちと行こうぜ」

  ブチッ……。
  あまりに自分勝手な行動に、ついにルイの堪忍袋の緒が切れた。そのまま男の腕を取って、一本背負いに入ろうとしたそのとき。ルイの腕を掴んでいた男の手が離れた。

「痛ててっ」

  痛い? 不思議に思いながら男の方を見ると、真人が男の手を捻り上げていた。

「真人!」
「大丈夫か? ルイ」
「何すんだよ!」

  もうひとりの男が真人に突っかかってきた。それをひょい、と避け、バランスを崩した男の足を軽く払う。無様にも砂とキスする羽目になってしまった男を見下ろして、睨みを利かせる。

「それはこっちのセリフだ。俺の連れに何の用だ?」
「よ、横取りは反則だぜ!」

  未だに手を捻り上げられていた男が情けない声で抵抗する。しかも、真人のことを自分たちと同類だと勝手に決め付け、横取りなどという考えを持っている辺り、話にならない。真人とルイが本当に連れであるという考えは持っていないのだろう。ついさっき、お互いがお互いの名前を呼び合っていたはずなのだが。それを理解できないくらい、この男たちは英語を理解できないのだろうか。
  はぁ、とわざとらしいため息をついて男の腕を離すと、ルイを自分の後ろにかばうように移動させ、今度はきちんと聞き取れるようにゆっくりと日本語で話し掛ける。

「だから、彼女は俺の連れなんだって。横取り以前の問題だろうが」
「嘘ついてんじゃねぇよ!」

  まだあきらめないのか、今度はふたりがかりで真人に殴りかかろうとしていた。周りの野次馬たちも喧嘩に巻き込まれるのを恐れてか、真人たちから距離をおき、成り行きをただ見守っている。二人でかかっていったところで、相手は連邦軍特殊部隊リーダー、無限真人である。男たちは隙だらけのパンチを避けられ、あっという間に地面に叩きつけられ、周りから失笑をかう始末。ケンカを売る相手を間違ったと気付くには遅すぎた。

「覚えてろよっ」

  これまたお決まりの捨て台詞を吐いて、その場をそそくさと立ち去っていった。周りの野次馬からひと通りの拍手や歓声があがると、照れが一気に駆け上がってくる。次第に野次馬はいなくなったものの、照れは中々消えてくれるはずもなく。微妙に離れた位置に座った真人とルイは、お互い目を合わせられない。

「あ……ありがとう」
「ルイは隙だらけなんだよ、そんな格好でひとりでぼーっとしてるからあんなやつらに声掛けられるんだよ」

  いつものように、言い合いになってしまうと思いきや、いきなりルイがうつむいてしまった。

「ルイ?」
「……そんな格好って……仕方ないじゃない、水着は、これだけだったんだものっ」

  ルイの目からは涙が溢れ出そうとしていた。思いもよらなかった反撃に、真人は焦ってしまう。照れ隠しのつもりでつい言ってしまったキツイ台詞で、まさか彼女が泣き出してしまうとは。真人がそれを言ってしまったのは、照れ隠しだけが理由ではない。見ず知らずの男どもに声を掛けられ、しかも連れて行かれようとしていたルイに腹を立てていたのだ。自分が知らずに不機嫌になっていた理由が俗に言う『ヤキモチ』であることもわからないものだから、八つ当たりしてしまったのである。しまった、と心の中で舌打ちしたところで、彼女が泣き止む様子はない。
  しばらくその状態が続いたが、心を決めたのか真人はルイに気付かれないように大きく深呼吸をすると、彼女との距離を縮めてから彼女の頭を撫でるように手を優しく置いた。

「そ、その水着、ルイに似合ってると思うぜ」
「……嘘」
「嘘じゃないって、ホントに似合ってるって。現に、俺、さっき見惚れて……」

  はっ、と口元をおさえるが、時すでに遅く。

「……本当?」
「ああ、本当だって」
「ありがと。うれしい」

  ルイは本当にうれしかった。真人に誉めてもらえることはあきらめていたし、なにより、それ以上の言葉を聞くことが出来たのだ。さっきまで深い海の底に沈んでいた気分が、彼の一言で高く晴れた空まで舞い上がってくる。
  やっと彼女の顔に笑顔が戻った。真人はそんな彼女を見て、やっぱり彼女は笑っていた方がいいと実感する。自分まで笑顔になってしまうのは、きっと彼女の笑顔の所為なのだろう。

「泣いちゃってごめんね。そうだ、ピエールたちは?」
「まだ遊んでんじゃねぇ?」

  海の方を捜してみたがそれらしい人影も見つからない。おかしい、とふたりで目を合わせると、視界の隅に顔をニヤニヤさせた彼らが座っているのが見えた。

「よっ、お熱いねぇ、おふたりさん」
「い……いつからそこに居たの?」
「お、驚かすなよ」
「驚いたのは僕たちの方ですよ、いきなりケンカ始めるんだもの」

  ということは、真人がナンパ男どもを投げ飛ばしていたところから見られていた、ということになる。

「カッコよかったぜ、『俺の女に手を出すな!』ってね」
「そんなこと言ってねぇだろ」
「そうムキになるなって、真相はどうであれ、ルイを危機から救ったんだ、なぁ?」
「カッコよかったですよ、真人さん」
「……っ」

  やはり、ジャッキーの突っ込みに返せない真人なのであった。





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すみません、すみません、すみませんっっ(平謝)
中編をアップしてから早8ヶ月…
長いことかかった割には…げふんっごふんっ
真人たちの公用語を、英語だと勝手に決めつけてます。
地球連邦軍と言うからには、完全ローカルの日本語が公用語であるはずないし。
英語、ってことでご了承ください。
まさか、中国語とかアラビア語じゃないよね…?


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